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僕の夢 - 日本へ留学 日語寫作
我的夢想——到日本留學
高二庚 游松儒
子どものころ「日本に行きたい」という夢があり ここに思わず僕の高校、「普台高校の学食」を思い
ました。日本の文化や生活に憧れを持っていたため、 出しました。ここにはセントラルキッチンだけでな
小学生から日本語を学びました。高校 1 年生のとき く、栄養士は 1 日 3 食のメニューを用意してくれて、
「青少年留学プログラム」という日本留学の情報を 生徒たちは学食に着く次第すぐ熱い料理が食べられ
知り、このきっかけで子どものころの夢を叶えて、 て、本当に学校に感謝の気持ちがいっぱいです。
日本語の作文
日本の「山崎市立橘高校」1 年間国際コースとして
しかしながら、この 1 年間の日本留学はいいこと
日本へ留学に行きました。
ばかりではありません。初めて日本人と話すとき緊
最初日本に着いたころ、友達もいなくてさびしか 張していて、うまく表現できなかったです。その後
ったです。良かったのはホームステイのホストファ 日本語を話すのが怖くなってだんだん人と話したく
ミリーに世話を頂いて、僕に家族という温もりをく なくなったのです。この悩みを学校の先生に相談し
れました。学校は主に 2 年生の一般教育コースを勉 たら、自分の弱みは「プライド」にあることに気づ
強します。僕にとって一番好きな科目は近代文学と いて、この悪い性格を見直そうと思って、努力して
日本文学で、理由は日本語文学を理解したいことと だんだん日本語を話すのは怖くなくなってきました。
正しく日本語で文章の書くことです。学科以外に日 ほかには、日本では目上の人に敬語を使わなければ
本の文化について関心も持っています。最も印象的 なりません。しかし、僕は正しい敬語の使い方にま
なことは祭りの行事進行の最中、主催人の調子が急 だ慣れていなくて、何度も先生に注意されました。
におかしい様子で、スタッフが休んでもらったほう 正しく敬語を使うため、宿題とかレポートによく敬
がいいと話しかけたみたいで、ところで主催人が休 語の練習を重ねて、今はもう使えるようになりまし
まずそのまま仕事を続けていたらしいです。この場 た。
面をずっと見つめている私は「日本人が自国の文化
この留学のきっかけで、内気な性格を持つ僕にと
伝統風習に対する尊敬と真剣さの忠実感は、私たち
っては、人とのコミュニケーションするのは苦手で
にはその精神を学ぶべきではないでしょう」と思い
したが、今はだいぶ成長になってきました。台湾へ
ました。ほかには、日本の「弁当文化」で、昼ごは
帰国後、日本語力を向上し続けて、そして日本語能
んは殆どの生徒たちは自分で弁当を準備して来ます。
力試験一級レベルと EJU 試験に受かりたいと期待し、
僕も初体験で皆さんと同じ弁当を持って来ました。
将来は日本の大学で情報処理コースと関連する学科
弁当が持って来てない人は学食で行列して弁当を買
に入って、日本で生活するという目標を実現したい
うのです。行列が込むと食べる時間が圧縮されます。
です。
「我想去日本」,是我小時候的夢想。因嚮往日本生活文化,所以從國小開始學習日語。高一時,得知日本留學
的訊息——「青少年留學計畫」,於是我把握這次機會並著手準備,終於實現夢想,前往日本「山崎市立橘高校」國
際班就讀一年。
初到日本時,沒有認識的朋友,一個人非常孤獨寂寞,還好有寄宿家庭的照顧,讓我感受到家的溫暖。學校課程
以普通科二年級課程為主,我最喜愛的科目是現代文學與日本文學,因為能深入認識日本文學並學習日本文章寫作方
法。除了課業學習,我也參與許多日本文化相關活動,印象最深刻的是日本祭典儀式的活動。有一次在儀式進行中,
主辦人似乎身體不適,工作人員詢問是否須稍做休息,但這位主辦者還是繼續工作。從此讓我深深感受到日本人對傳
統文化的尊重以及對事以真的態度,這樣的精神值得我們學習。此外,日本的「便當文化」也很特別。午餐時,大部
分的學生都自備便當。這是我人生中的初體驗,第一次帶便當到學校用餐。沒有帶便當的人,就要到學校餐廳排隊買餐,
排隊時間過久,則會壓縮到用餐時間。這時不禁想起「普台高中餐廳」,不僅有中央廚房,還有營養師每天為我們調
配三餐,讓我們一到餐廳就能吃到熱騰騰的食物,非常感謝學校。
留學期間並非一切順利,剛開始和日本人交談時,過於緊張以致無法順利表達,於是心生恐懼不敢開口說話。後
來經由師長晤談及檢討反省,才發現原來是自尊心作祟,於是努力調整自己的個性,漸漸地不再害怕與人交談。此外,
在日本與長輩說話時必須使用敬語。而我平時並沒有使用敬語的習慣,所以常被師長糾正。為了讓自己能正確使用敬
語,所以藉由寫作業、報告等方法反覆練習,如今已能自然地以敬語表達。
經由這次留學經驗,讓原本內向的我在語言表達及與人溝通上成長許多。回台之後,期勉自己繼續精進通過日文
檢定 N1 及日本留學試驗 EJU,並期望未來到日本大學就讀資訊工程相關科系,實現自己的目標——生活在日本。
普台文字館 35